第12章 越前との戦い
□1995年12月19日 15時00分 箕面山中
山の中を一人で歩くマナベ。
「赤の宮殿、そこにせいじろうがいるはずだ。是非赤阪専務にも一緒に来てもらいたかったのだが、メラニートに憑依されている状況では行動が非常に制限される。一人でせいじろうを探すのもやむをえん」そう言いながらマナベは険しい山道を登って行った。
「エコールソフトウェアを作ってもう8年になる。最初はサワダと赤阪とで始めた小さなコンピュータ会社だったが、少しずつ人も増え、にぎやかになって行った。だが、人が増えるたびに、孤独になって行ったのも事実。サワダが怪我で倒れ、赤阪がメラニートに憑依されて、一人っきりで険しい山道を登って行くなんて、会社を始めた頃には全く想像もしなかった、改めて一人っきりになると寂しいものだな―――」
山道を登りきったところで地図を確認する。
「赤の宮殿は、記録によると40年前に所有者がいなくなって廃墟になった。さらに、この前の地震の際に発生した地滑りによって、ほぼ全部が地中に埋もれてしまった。地震の前までは、赤の宮殿を保存するために管理人の住む住居があったが、赤の宮殿自体が地中に沈んでしまった今、管理する必要もなくなった」
メラニートがくれた資料を見ながら呟くマナベ。
「皮肉なものだ、保存するための赤の宮殿自体がなくなっているのに、管理するための施設の方だけが残っているなんて、赤の宮殿はデスビスノスがずっと使っていたんだろうか、そうすると、埋もれた宮殿の中にデスビスノスは今も存在しているのだろうか」
前方に建物が見えてきた。
「あれが、管理人室。とっくに廃墟になっているかと思ったが、コーヒーの香りがするし、誰かが住んでいる気配がする」
だが、実際に人影を見つけることは出来なかった。管理人室の前を通り過ぎて中庭を探索する。
「なんだぁ、この物体は」マナベの前方にクマムシが茂みの中に置かれている。
「それは、ご主人様の脱皮した抜け殻です」後ろからした声に振り返るとそこにはメイド服に身を包んだ若い女性の姿がある。
「ご主人様とは、誰のことだ」
「越前康介様です。今では廃墟となったこの赤の宮殿をずっと守ってきた伝説の戦士、1年前から新しい姿になって帰って来られました」
「あなたはここで何をしているのですか」
「私はここでご主人様にお仕えさせていただいているメイドです」
「あなたは騙されているんです。目を覚まして下さい。今あなたが仕えているご主人様はせいじろうと言う男ですね。この写真の人でしょう」
「そうです、現在の越前康介様です。私の永遠のご主人様です」
完全にメイドの目は虚ろであった。
「私の永遠のご主人様です」そうメイドは繰り返した。
マナベはいきなり、蒼い銃を取り出し、メイドに向けて発射する。
「ワタシはマーメイド、マーライオンの生まれ変わりのメイドだからマーメイド、だけど人魚じゃなく人形町で生まれました。冥土の土産に人形焼買って帰って下さいね。つぶつぶのカエルの卵がいっぱいはいったナタデココ風デザートもワタシがスプーンでおクチに入れて差し上げます。ワタシを抱き枕にして下さい。枕は英語で言うとピロー、ピロピロピロピロ――――――」
「ピロピロピロ――――――」
その時、メイドがポケットに入れていた携帯電話が鳴った。
「はい、声優事務所のアーレスです。アーレスでは声優はもとより、司会者、ナレーターの派遣から他の事務所に所属のタレントのブッキングまで声の業務を全般に行っています。声に関するお問い合わせはアーレスまで」
「大丈夫ですか、メイドさん」
どうやら掛かってきた電話でいつも声優事務所で行っていた業務を思い出したらしい。
「もう大丈夫です。私の名前はキタムラです、全部思い出しました。1年前、私は声優事務所に所属して、将来プロの声優になりたくてレッスンをしていました。そうしたら、同じ事務所の先輩のせいじろうさんがここに誘ってくれたんです。それからのことは記憶が曖昧で、ただ、ここに最初に来た時、赤い銃で撃たれたのを覚えています。ちょうど今と同じように―――」
「そうか、赤のクリムゾンはその狂気で人を支配する。それでせいじろうは一体、今どこにいる」
「奥に部屋があります。そこにいるはずです。本当はご案内したいのですが、先ほどその蒼い銃で撃たれた時からその辺りの記憶がはっきりしないので、ご案内出来ません、残念です」
「あなたはこれからどうします」
「ここを離れて、声優事務所に戻ります。上手く戻れるかどうかは自信が無いですが」そう言いながら、頭を下げてメイドは去って行く。
「どうやら、一人でここを探索しないといけないらしい」
鉄の階段を上る。
「上から来るぞ、気をつけろよぉ」マナベが呟くが、何も現われない。
上りきったところに赤の扉がある。
「これ以上、赤の扉と関わるのは気が進まないが、仕方がないか。」
扉を開けて中を覗く。そこには赤く塗られたセガサターンが1台置かれている。
「まさかこの中にはデスクリムゾンが入っていて、せいじろうが俺との戦いに備えて銃の腕を磨いていたなんてことはないよな」
―――頭上に続く螺旋階段がある。
「階段は朽ち果てていて、上るとギシギシと音がする。せいじろうに先に見つかってしまうかもしれないから止めておこう」
そばにある天窓から上を覗くと、巨大な真っ黒い船らしき物体が置かれている。
「こんな山の中に船を置くなんて、変人としか思えないな。一体何の目的だろうか」
その時、遠くから微かに音楽が―――
「なんだろう、あの音楽は、なんだか聞き覚えがある」
そう言いながら、マナベは音のする方向に向かった。
「いちにーさんし、いちにーさんし」
「これはラジオ体操の音楽、今まで会社で何百回も聞いたからすぐに解った」
音楽のする方向にマナベが歩を進める。
「なんだ、あの踊りは。あれはまぎれもなくせいじろう。だが、あの不思議な踊りはなんだ」
そう呟くマナベの前で、せいじろうが一心不乱に舞い、踊っている。
「激しい踊りだ。いつもエコールでやっていたラジオ体操とは全然違う。トレーニングなのか舞踊なのか解らないが、とにかく激しい動きで辺りを一面に跳ね回っている。ラジオ体操と言えどもこうやって傭兵は体を鍛えるものなのか。これは相当なダイエットになるかもしれない」しばらくせいじろうの激しいラジオ体操に見とれるマナベ。
「メラニートの情報の通り、この蒼い銃でせいじろうの心臓を打ち抜けば越前の憑依から開放することが出来る。だが越前が赤のクリムゾンで俺を先に撃てば俺の意識はせいじろうに支配される。チャンスは一回、ラジオ体操の最後のフレーズ、深呼吸の時、心臓が無防備になるはず、そこで一気に勝負だ」
「オーノー」
「やったぜ、せいじろうを倒した、今確かにやつはオーノーと言った。ダメージを与えた。いや、おかしい、今の声は間違って民間人を撃った時の声、撃ったのは俺だから、ダメージは俺にかかったはず」
「お待ちしてました、マナベ社長。あなたなら、きっとこのトラップに引っ掛ってくれると確信していました」そう言いながら、せいじろうは胸元からムササビの剥製を取り出す。
「なんと、俺が撃ったのはムササビだったのか―――」呆然とするマナベ。
「あなたの良い所は、物事を楽観的に考えられるところ、あなたの悪いところは、単純なところ。馬鹿を通り越した単純さ、このような場合にはあなたの弱点が裏目に出て、ほら、このように私に行動を支配されるわけです」
せいじろうの言うとおりに、マナベは体の自由が利かない。
「わたしは、あなたが用心深いか単純なのか図りかねていました。だが、あなたは新幹線の中で私が提供した焼きビーフンをあっさりと食べた。日頃は慎重な性格だが苦しくなると安易な道に走る、それがあなたの行動パターン。今回もあっさりと安易な道を選びましたね、だから、このような単純なトラップに引っかかるんです」
「ぐぐぐ」悔しがるマナベ、だが打つ手がない。
「あなたの体にはカルマがまだ足りません」
そう言いながら、越前はマナベから蒼い銃を取り上げ、天井の電気を撃った。
「ぐぉー、ぐぐぐ」マナベの体が床に倒れこみ、ショックで跳ねた。
「デスフラッシュです。ご存知ですよね。あなたが考えた技だ」
そう言いながら、せいじろうは天井にある電球をすべて撃ちつくした。
マナベの体がそのたびにのたうちまわり、床を跳ねる。
「どうして、赤のクリムゾンで俺にとどめを刺さないんだ」
「まだ、頭は多少回っているみたいですね。では、教えてあげましょう、せっかくだから」
せいじろうが壁の電気をつける。そこには、巨大な物体が―――
「これが、あなたが探していた赤のクリムゾン。たくさんのカルマをためてこのような姿になった」
マナベの目の前には、2メートルはあろうかと言う巨大クリムゾンが存在している。
「なんてことだ、蒼い銃とは全く違う、恐ろしい姿。だが教えてくれせいじろう。なぜ、赤のクリムゾンはこんなに巨大な姿になっているのだ」
「馬鹿で単純で哀れな社長に教えてあげましょう。赤のクリムゾンは人間のカルマを吸って巨大化する。カルマは、この世に思いを残して死んで行った人間から大量に採取することが出来る。だから、凄腕の傭兵である越前康介が赤のクリムゾンを持つのは最高の選択でした。越前の無鉄砲さは僚兵を危機に陥れることが多い、その上で越前は持ち前の優れた運動能力で自分だけは生き延びる。結果として越前が所有者であった時期に、このクリムゾンはここまでカルマをためて巨大化したのです。ためたカルマはある生物を通じてクリムゾンに蓄積される。さあクイズの時間です。もし正しい答えを言えたら、この場から開放してあげましょう。だが、間違った答えを言ったなら赤のクリムゾンのカルマに加えてあげましょう」
「そのカルマはムササビなのか、そうなんだろう。だからムササビを撃つと越前はオーノーと言うわけだ。せっかくためたカルマを失ってしまうからな」
「やっぱりあなたは単純だ、その単純さには好感が持てる。だが、それ自体があまりに自分中心の考えで凝り固まっている。もっと論理的に考えなければ立派な経営者として失格です」そう言いながら、せいじろうが命令を出す。
「秘技、日本全国フナムシ巡り」
掛け声とともに辺り一面をフナムシが覆い尽くす。
「フナムシだったのか、カルマを集める生き物」
「説明してから解ってももう遅いですね。ちょっと考えれば解るはず。デスビスノスは数千年前からここに生息する宇宙生物。その時代にムササビがいないことは明らか、またクリムゾンがなぜ友ヶ島に置かれていたのか、島を走り回るフナムシを見て何も感じなかったあなたの愚鈍さを呪って下さい。ではさようなら、マナベ社長」
「待ってくれ、最期にコーラを一杯飲ませてくれ。悲惨な死に方をするのは傭兵として仕方がないが、死にそうにノドが乾いた。頼む」
「いいでしょう、コーラは自分で用意して下さいね」
「ああ、ここに用意している」そう言いながら、荷物からコーラを取り出すマナベ。
「スパークリング・コーク・フラッシュ」
回転しながらコーラを振りまく、マナベ。
すると、急に苦しみ出すせいじろう。
さらに、焼酎も加えて振りまく。
「スパークリング・コーク・フラッシュ・焼酎添え」
せいじろうの精神が錯乱を始める。どうやら、記憶の断片から逆上ってはいけない領域に記憶が戻ったらしい。
「やめてくれ、デスビスノス、俺はお前を受け入れていない。俺の精神は越前康介ではない」
この事態を予想していたかのようにその姿を見つめるマナベ。
「おれは、越前ではない、せいじろうだ」
絶叫して倒れるせいじろう。
そのせいじろうに駆け寄り、介抱するマナベ。
「せいじろう、もう大丈夫だ、キミは悪い夢を見ていただけだ。越前康介と精神が同化する夢をな」
「あなたは、たしか、ゲーム収録の仕事をいただいたクライアントのエコール社の社長さん」
「すべて記憶がリセットされたんだね。君の中にいた越前はもういない。記憶の矛盾に耐えられず、カルマとなって消えて行った。そのカルマはフナムシたちが食べつくした。もう越前康介は存在しないんだ」
「しかしどうやって元に戻れたんですか」
「それは、スパークリング・コーク・フラッシュ、これを越前が最初に見たのはダニーである俺と会う直前。だが越前は同時にグレッグとも出会っている。グレッグと会った時は焼きビーフンに興味を示していたと言うことは、その時点では世界は並列していた。そして、越前は自分の意思で焼きビーフンを選んだわけだ。ここで今、スパークリング・コーク・フラッシュを受けることで、世界が並列する前の状況に引き戻された。すなわちせいじろうに越前が取り付く前の時間に―――そこで、この10年前の腐った焼酎によって、越前は今の自分の時間から分離されてしまった。言うなれば、必然的に作らざるを得なかった並列世界の唯一のほころび、それが、焼きビーフンをとるか、ハムステーキをとるかだったのだが、焼きビーフンをとった越前は、ハムステーキの記憶は許されない存在、それが白日に晒されたことで越前の空想世界は崩れ去った」
「そうなんですか」
「せいじろう、キミはもう自由だ。声優の世界に帰りたまえ」
「はい、そうすることにします。しかし―――」
「しかしなんだ」
「その前に、断片的に覚えていることがあります。越前が自分だった時の記憶が一部残っているのでそれをお伝えしておきたいです」
せいじろうの説明によると、宇宙生物デスビスノスは直接自分の手を下すことなく人類を破滅させようとしているとのこと。そのための道具がテレビゲームであること。あるゲームソフトをプレイすると、プレイヤーが洗脳され、デスビスノスの意識の支配下に入るとのこと。
「そのゲームソフトはなんだ、もしかしてデスクリムゾンなのか」
「違います、もっとメジャーなタイトルで、はっきりとは覚えていませんが白くて巨大なモノに関係があったような気がします。だけど、それを思い出そうとすると激しい頭痛が―――」
「無理するな、せいじろう。そのうちに何とかなるだろう」
「ええ、それは絶対に阻止しなければなりません。しかし、私にはもう越前康介であった時代の力がありません、残念ながらお役に立てそうに無いです―――」さみしそうに呟くせいじろう。
「いいんだ、また何か思い出したことがあったら教えてくれ」
「こんなことなら越前康介と同化している間にもっとやるべきことがあったとつくづく後悔します。もっと傭兵として世界中を駆け巡りたかった。私は一生このやり残した焦燥感にさいなまれながら生きて行くことになるんでしょうね」
「また、きっと会おう。せいじろう、いや越前康介」