第4章 ガンシューティングを作る
□1995年1月26日 10時00分 エコール社内
「お帰りなさい、社長」朝の朝礼で、矢野主任が声を掛けた。
「今日のラジオ体操はなしにする、これからのエコールの方針について重大な発表があるので、各自心して聞くように」マナベは整列した社員を見渡しながらそう言った。
「今日からエコールはゲーム制作会社になる。やめたいものは、やめてもらって結構。みんなどうする」
「異議なし」全員が賛成した。
「理解してくれてありがとう。これから、さまざまな困難な道が待っていると思うがみんなで力を合わせて頑張っていこう」
マナベが目で合図をすると、赤阪専務が片目の入ったダルマを持って来た。
「エコールがゲーム業界に参入した記念にこのダルマに片目を入れた。すばらしいゲームが完成して無事に発売出来た際には、このダルマに両目を入れることにする」
「パチパチパチ」全員がいっせいに拍手をした。
「社長、セガから荷物が届きました。開発機材と思われます」
「なんか、めちゃくちゃ早いな。昨日申し込んだのに今日届くなんて―――これで
いよいよ戦闘開始だな」
次々と運び込まれる大きな段ボール箱を眺めながらマナベが声を掛けた。
ひときわ大きいダンボールが運び込まれる。
「これが、今回のプロジェクトの核になる、シリコングラフィックス社のインディ、3次元でデータを作ることが出来るソフトイマージが動作出来、世界中の多くのゲーム会社で標準的に使われているソフトだ」
マナベが箱から取り出すと、ひときわ鮮やかなブルーの本体が目にまぶしく飛び込む。
巨大なモニターと合わせて、極めて威圧的な風情をかもし出す。
「次の箱は、サターンデバッガー、これをあけよう」
マナベの指示で矢野が中くらいの箱を開け、中身を取り出す。
サターンの下に、同じくらいの大きさの黒い箱がついている。
「これをSCSIでパソコンと繋いで、デバッガーを動かすみたいです」
「どうやら、これらをネットワークで接続して開発するらしい。エコールはネットウェアのネットワークがあるが、UNIXとPCは、直接繋げないから、最終データをFTPで転送する。マックからもFTPで転送して使うらしい」
初めて見る大量の機材に、興奮気味のエコール社員。
「ここに、ゲームの作り方を簡単にまとめたマニュアルがあります。サンプルソースもあるみたいなのでこれを改造して作れば、プログラムは何とかなりそうです」サワダの言葉に歓声があがる。CADソフトを開発していた時には無かった、興奮と熱気が社内に満ち溢れ、マナベはプロジェクトの成功を確信した。
それぞれが、機材を設定したり、デバッガーを動かしたり、サンプルを読んだりしながら、作業を進めていると、赤阪がサンプルの絵を描いてきた。
「適当にサンプルの絵を作ってみたから動かしてみてくれる」
サワダが、作業すること1時間
「画面に表示が成功しました」再び歓声が上がる。
画面を見ると、太りすぎの可愛くない象が画面をカニ歩きしながら右から左へ横切って行った。
「ふむ、どうやら表示に成功したようだな。第一段階はクリアした」満足げに肯くマナベ。
「なんか、この象、ぱおーんと言う感じで全然可愛くないですぅ、フォトショップで作画した時はもっと可愛かったのに、なんでぇ、サワダ課長」赤阪が出来上がりに不満そうにサワダに質問した。
「とりあえず、今日のところはこの辺りで仕事終了」不穏な空気を感じたマナベが強引にその日の作業を終了した。すでに朝の3時になっていた。
「初日の作業は極めて順調に推移した。明日からこのペースで頑張れば、9ヶ月できっとゲームは完成するさ」
□1995年1月27日 10時00分 エコール社内
翌日、朝9時から作業が開始した。昨日と違い、今日は社内のあちこちでため息が聞こえる。奥のインディの設置場所では、
「社長、ソフトイマージがソフトも説明書も全部英語でさっぱり解らないんですけど、英語の勉強にNOVAに行って来ていいですか」
「NOVAは英会話だろう、よく解らんが、やりたければ勝手にしろ」
「社長、どうやら、グラフィックはすべてマッキントッシュで描くみたいです。うちにはマッキントッシュが一台もありません、どうしましょう」
「無いなら、すぐに日本橋に行ってソフマップで買って来い。会社のトラックを持って行けよ、4台くらいまとめて買って来い」
「社長、音楽作るのには、シンセサイザーとかキーボードとか、シーケンスソフトとかGM音源とか、いろいろと必要だそうです」
「解った、それもついでにソフマップに行って買って来い」
「社長、どうも、このシンクロと言う概念が解らないんですが、CADには無い概念で、テレビの周波数に同期を取るための機能だと思うんですが、資料が無くて」
「梅田の紀伊国屋に行って、サルでも解るゲームの作り方の本でも買って来い」
「実は、昨日買って来たんですが、どうもこれはエロゲーを作る本で、ガンシューティングを作る本は売ってないみたいです」
「むむむ、ガンシューティングを作る本は需要がそんなに見込めないから誰も書かないわな、仕方がない、自分で考えるか」
「シンクロの件はセガのサポートに聞いてみろ」
「実はこれもさっき聞いてみました。メールで回答してくれるって言ってましたが、なんか、すごーく初歩的な質問をしたみたいで。例えるならプロ野球の一軍の選手に、打者は打ったら右方向に走るんですか、左方向に走るんですかって聞いた時のような、なんかすごーく嫌な空気が流れたんですが」
「やむをえんだろう、我々は自慢するわけじゃないが、本当に素人なんだから、恥ずかしがらずに解らないところはじゃんじゃんセガに聞け」
一通り社内のトラブルに対して指示を出して一息つくマナベ。
「これは、大変な世界に足を突っ込んだのかもしれん。単に作るだけでもこれまで勉強してきた知識の数十倍の知識が必要だし、その上に、面白いものを作らなければならんと言うプレッシャー、ゲームをプレイするだけの時には気がつかなかった、クオリティと言う魔物のプレッシャーが想像を絶する感じだな。これは、精神力の弱いやつは病気になる可能性が高い」
「社長、ちょっとご相談があります」
「どうした、矢野主任。君の担当はキャラのモーション関連だったと思うが、何か問題でも発生したか」
「ええ、サターンの表示可能なポリゴンから計算すると、マップ部分に使えるのは
およそ800ポリゴン、そうなると、障害物とかを樹木なんかで作るのは難しいです。だからといって、突然空中に敵が現われるのは不自然ですし、エフェクトを使うとさらにポリゴンを使います。どうすればいいんでしょうか」
「こうしよう、越前は少しアル中気味で、まっすぐ歩いていてもふらふらと左右に目線が揺れることにする。そうして、目線が右に向いているうちに左側に敵を出しておいてふらふら左向いたら敵が目の前に迫っている設定はどうだ」
「まあ、原理的にはいい考えですが、凄腕の傭兵のはずの越前がアル中で昼間からふらふらしていると言う設定をファンが許すかどうか」
「この際仕方がないだろう、それに越前は凄腕の傭兵とは一度も言ったことはないぞ、女性の扱いは苦手だと言ったことはあるが」
「解りました、しかしこんなゲーム、プレイしたことありません。一体どんなものが出来るのか全く想像が出来ないんですが」
「まあ、いいだろう。現場合わせと言うことで。優秀な技術者は設置の際の現場での判断が一番重要。話はそれだけか」
「いえ、まだ続きがあります。キャラの動きをモーションキャプチャーのデータを使いたいんですが、スタジオで撮影すると、スタジオ代1日30万円、俳優のギャラ10万円、データ加工費用30万円とか、到底エコールでは払えないような金額なんです。一体どうしましょう」
「やむをえん、モーションキャプチャーは諦めて手でつけることにしよう」
「そうすると相当動きがへぼくなりますが。盆踊りとかラジオ体操みたいな動きになってしまいます」
「では設定の方で、そのような動きをする敵キャラと言うのを書いておこう。いや、書かなくても見れば解るな。とにかく、なんとか頑張って手でモーションをつけてくれ」
「敵キャラには2000ポリゴン程度しか使えないんですが、人間型の敵だと普通に作ると、1キャラ1000ポリゴンくらいかかって2体しか出せません。せめて6体は出さなければゲームとして成立しません」
「むむむ、ならば、2体は900ポリゴンでそこそこ細かく作って、あとは1キャラ10ポリゴンくらいで4体出すことにしよう。そのつもりで、平べったいモモンガとかスルメイカみたいなキャラを考えておいた。同じ画面で作りこんでもキリがないから、ここはユーザーの目線を固定する、目線集中理論で一部のキャラに大半のリソースをつぎ込むことにして乗り切ろう」
「それにしても、テクスチャー素材が全く足りません。描き込むと時間が掛かりますし、世界観から考えてその辺りで撮影して来ても使えそうな感じは全くありません」
「だったら、ワタシが取材に行って来てあげようか、キャラクタのデザインも終わったし、ちょうど暇になってたところなんだぁ。ヨーロッパとかイスラエルとか、エジプトとか、いろいろ周りたいと思っていたから、1ヶ月くらいで行って来てあげてもいいわよぉ」
「解った、赤阪専務、では宜しく頼む。ただ、1ヶ月も掛けると破綻してしまうから、大英博物館とアンコールワットとエルサレムとカイロを1週間で周って帰って来てくれ。いわゆる弾丸ツアーみたいな旅行で、テクスチャーをとる目的を達成したら、すぐに次の場所に移動して撮影、日本に帰って来てデザイナーにデータを渡したら1週間くらい休んでもいいから、とにかく早く決着してくれ」
「なんだぁ、それじゃあ仕事みたいじゃない。まあ、会社にずっといるより気分転換になるから行って来てあげてもいいわよ」
「そういえば、エコールの社名ロゴのアイディアも考えておいてくれ。イメージとしてはモナリザのようなあたたかな視線をもった顔がロゴの展開とともににっこり微笑むみたいな感じで、なぞの微笑みって感じで仕上げてくれたらいい」
「じゃあ、さっそく行ってきます。1週間後に会いましょうねぇ」
「社長、ちょっと考えたんですが、出来上がったデータを配置するツールを作った方がいいと思うんです。と言うのも、もともと使えるポリゴンが少なくて、ちょっと油断すると張りボテなのが見えてしまうでしょう、ならば実機で実際に画面に表示しながら調整出来るスクリプトツールを作った方が細かな調整が出来ると思います」
「それはそうだな、敵が出てきたとたん、頂点数が不足して急に壁が消えたりするとみっともないから、それを確認しながら配置が出来るツールを作るのは良い考えだ。現場主義の精神にものっとるしな」
「了解です、さっそく制作に入ります」
「あ、それからついでにテクスチャーを連続模様にするグラフィックツールも頼むよ。赤阪専務が取材で撮影して来たテクスチャーは、そのままで使うと境界線が見えてしまう。それを連続模様に変換するツールが是非とも必要だ。
それから、ガンシューティングのバランス調整をするために、プレイヤーを3段階レベルくらいに分けて、それぞれのプレイスタイルを定義して、へぼいプレイヤー、普通のプレイヤー、神のようなプレイヤーをコンピュータでシミュレーション出来る仕組みもよろしくな」
「時間があれば作ってみます。だけど、難易度設定は入れないんですよね」
「難易度にイージーとか入れてしまうと安易な道に流れるユーザーが続出するからダメだ、あくまで戦場をイメージした厳しいゲームがデスクリムゾンなんだから」
「解りました」
プログラムをテストしていた矢野主任がため息をつく。
「社長、またフリーズしました。きっとアドレスエラーですよ」
「どのくらいの頻度でフリーズは発生しているんだ」
「いくつかパターンがありますが、20分に1回はフリーズが起きているようです。BGMが短いサイクルでループしていますから、CPUが停止したアドレスエラーだと思います」
「フリーズには、いろいろなパターンがあるんだな、なんだ、そのアドレスエラーって言うのは」
「いわゆる、ぬるぽって呼ばれているやつで、ポインターが存在しないアドレスを参照に行った、要するにプログラムに致命的なバグがあって、一撃で止まってしまう恐ろしいパターンです。それ以外にも、進行不能と言うのがあって、これは厳密にはフリーズではありません。進行不能はデバッガーで再現出来るから、どこで何が起こっているか状況は把握しやすいですが、アドレスエラー、特にランダムに起こるものは原因の特定が難しい場合があります。場合によってはプログラムが原因ではなく、ハードが熱暴走した時もアドレスエラーになったりしますから、なかなか手ごわいわけです」
「そうか、ゲーム制作では苦しいながらもなんとか凌いで来たが、フリーズは相当苦しむことになるな。フリーズ―――コンピュータの死を意味する、なんて恐ろしい言葉だ」
□1995年2月1日 10時00分 エコール社内
「帰って来たわよぉ」
「おお、赤阪専務、早かったな」
「急いでいるってことだったから、4カ国を5日で回ったわよ。目が回るほど忙しかったけど、なんとかテクスチャー素材を集めて来たわぁ」
「お疲れさん、おお、この風景は死海だな。抜けるような青い空と真っ青な海、気を許して飛び込むと即死する悪魔の海、死海の写真が欲しかったんだ」
「死海の塩をお土産に持って来たわ。気付け薬として使ってみたら、なかなか強力だから」
「どれどれ、早速飲んでみよう。おお、これは辛いと言うより苦い。ぐおぉー、こんなもの食べさせるな」
「いきなり食べちゃだめですよぉ、それは塩化ナトリウムじゃなくて塩化マグネシウムがたくさん入っているから相当苦いはずよ」
「そう言うのは先に言ってくれ、この分だと青酸カリとかアジ化ナトリウムとか渡されても無防備に飲んでしまいそうだ。最近ストレスで判断力が大きく低下しているし、気をつけねばならんなぁ、あれ、赤阪専務はどこに行った」
「話が長そうだから、エコールのロゴの部分をデザインしてみたわぁ。なかなか可愛いでしょ」
画面には、どす黒いマスクが横転してそこの周りを金色のエコールの文字がゆっくりと画面を回っている。
「可愛いと言う感じではないと思うんだが、たしか指定では、モナリザが微笑んでいるような感じってリクエストをしたと思うが、記憶が定かではない」
「色がモナリザの服にそっくりでしょ、顔も微笑んでいるように見えなくもないし、その周りを優雅にエコールロゴが浮遊する、これくらい派手にしておいた方がいいわよ、ゲーム自体が地味になりそうなんだから」
「そりゃそうだ、じゃあこれで仕上げに入ってくれ」
「社長、オープニングムービーはどうします」矢野主任が心配そうに聞く。
「CGで作ると、10秒100万円くらいお金がかかりますし、さりとて無いわけにもいけませんし、どうしましょう」
「それだったら心配には及ばん。実は昨日、作っておいた」
「ええ、そうなんですか、早業に驚きますが、一体どうやって作ったんですか」
「それはだな、朝9時に会社を出発してそのままソフマップに行ってデジタルカメラを買ってだな、車の中で充電しながら加太の港に到着。そこから船に乗り換えて友ヶ島に渡る。友ヶ島を一周しながらカメラを担いで適当に撮影。夜の8時に会社に戻って来てそれからプレミアを使って、画面をセピアにしたり、BGMを入れたり、ヘリの音や爆発音を入れ、夜中の1時にはムービー完成」
「すごい早業ですね。突貫工事と言うか、でも声優の声とかはどうしたんですか」
「ゲーム中のダメージボイスなんかを収録する際に一緒に録音しておいた。原稿は、あらかじめ用意しておいたのでな」
「そうだったんですか、それを聞いて安心しました。ちょっと見せてもらっていいですか」
「これは、発売まで見せん。日本語の使い方がおかしいとか、いろいろと周りから言われると面倒だからな」
「解りました、発売日を楽しみにしています」