第1章 すべての始まり

□1995年1月23日 13時00分 エコール社内

―――大阪市港区弁天町 超高層ビルオーク200、24階のある一室にて
「上から来るぞ、気をつけろよぉ」
矢野は、パソコンのモニターを見ながら叫んだ。
矢野の周りに数人いた男たちが慌しく動き回る。

ここは、株式会社エコールソフトウェアのオフィス。
超高層ビルの24階にあり、周囲の再開発により庶民的に雑然とした街である弁天町に燦然とそびえ立つ威圧的な外観の建物である。

「トレース開始、メインモニターオープン」
矢野が指示を出すと、壁面に置かれたプロジェクタから防犯カメラの画面が6つ映し出されれる。
「ターゲット確認、緊急レベルトリプルS、迎撃体制に入れ、いや、迎撃はしなくていい」矢野は一度口にした指示をすぐに取り消す。
モニターには作務衣姿の男が一人映っている。49階エレベーター前のカメラが男がエレベーターに乗り込む光景を捕らえている。

「今日は水曜日だろう、どうしてアレがやって来るんだ」矢野がそばにいた男に問い掛けるが、男は無言で首をふり、解りませんと言う考えを伝える。
「仕方がない、今日の麻雀は中止、すぐに片付けろ」と矢野が指示を出す。
「僕、国士無双テンパイだったんですよ、止めるの嫌です」
「おまえなぁ、現状を正しく認識しろ、麻雀止めるのと会社辞めるのとどちらがいい」
「会社辞めたくないです。だって、朝から仕事しないで会社の中で麻雀してても給料もらえる会社なんて滅多にありません、絶対に止めたくないです」
「解ればいい、俺だってサバイバルモード連続88回クリアの条件をあと1回で達成出来る瞬間にアレがやって来て電プチしたことが何回あったか、だからお前の悔しさは解る」
「解ってくれたんですね、矢野主任。やっぱり主任は僕らの味方ですね、頼れるぅ」
「そうと解ったらさっさとそこにある麻雀牌を片付けろ、それから二萬から八萬は混ぜるなよ、三人打ちでは不要だし、今度やる時選り分けるのが面倒だからな」
「アイアイサー」
「まもなく社長がいらっしゃる、最敬礼でお迎えするように」
矢野が指令を出した時、辺りは完全に片付き、麻雀の痕跡は微塵も残っていなかった。

―――オーク200、49階、エレベーターホール前
「今日のランチは美味かった、銀河飯店のチンジャオロースは絶品だな。何度食っても飽きがこない。わざわざ出島設計事務所との打ち合わせを夕方に延期してきた甲斐があったと言うもんだ」
そう言いながら、株式会社エコールソフトウェアの代表取締役 真鍋賢行はエレベーターに乗り込んだ。作務衣姿に黒い帽子、足元は普通のビジネスシューズと言ういでたちに、すれ違ったOLがふと目を合わせて失笑する。
「しかし、当日の朝になってその日のランチメニューを発表するのは何とかして欲しいものだ。おかげで仕事のスケジュールが立たなくて困る」

24階にエレベーターが到着しドアが静かに開く。
マナベは音を立てないようにゆっくりと長く続く廊下に歩を進め、ドアの数を数える。13個目のドアの前で足を止め、中に入って行く。
―――株式会社エコールソフトウェア 
そうかかれたドアを静かに開けると、社員たちが左右に分かれて最敬礼をする。
「おはようございます、社長」
その敬礼の中を歩を進め、ひときわにこやかに笑顔を振りまく社員に声を掛ける。

「矢野主任、お迎えご苦労である。いつも主任がこうやって社内をびしっと引き締めてくれるから、本当に助かるよ。これからも頑張ってくれたまえ」
「社長、ありがとうございます。私も立派な社長の下、素晴らしい会社で働けて光栄の限りです。これからも命がけで奉公させていただきます」
矢野主任の言葉に思わず数人の社員から失笑が漏れる。

13時のチャイムがなった。
「では、いつものアレを始めよう、ラジオ体操第一用意」
社長の号令以下、社内に設置された有線放送からラジオ体操の軽やかなリズムが聞こえる。矢野主任を始め、社員が社長と横並びで体操を続ける。

「赤阪専務、この会社っていつまでもつと思いますか」隣でラジオ体操をする赤いセーターを着た女性に矢野が小声で話し掛ける。
「この現状をみれば、もって半年、早ければ今月中に倒れると思うよね。だから風水で占う必要もないと思ってずっと占ってみなかったんだけど、今日の朝、ふとしたことが気になって占ってみたの、そうしたらどういう結果が出たと思う」
「ぜんぜん解りません。もしかすると、今月ももたないで今日、即倒産とかですか」
「それがねぇ、全然逆なんですぅ、少なくとも2008年までは倒産しないって出ていたの。今が1995年でしょう。この会社があと13年も続くなんて全然信じられないぃ」
「本当ですか、俺も信じられません。専務の風水って本当はインチキなんじゃないですか」
「インチキとは失礼ね、うちは先祖代々、由緒正しい風水師の家系なんだからインチキなんて言うと、背後霊が矢野くんに取りついて、うだつの上がらないサラリーマンで一生過ごすことになるわよ」
「でも絶対におかしいです。このエコールソフトウェアが21世紀まで続くなんてありえません」

「そこ、私語は止めてラジオ体操を一生懸命やるように―――」
社長のマナベから矢野と赤阪専務に指示が飛んだ。
「ありがとうございますデス、社長」矢野が答える。
「矢野君、なんかしゃべり方が変。何か会社で悪いことが起こる前兆かしら」
そう言いながら赤阪専務が天井からつるされたお稲荷さんの神棚を見る。
「マナベ社長ってあの神棚に狐を置いてからおかしくなったんだよね、急に作務衣を着て来たり、ラジオ体操始めたり、やっぱり狐の祟りかしら」

その時、ラジオ体操が終わった。
「今日は第二はやらん、これで散会して仕事を続けるように」
マナベ社長が号令を掛ける。
「アイアイサー」と全員が声をそろえて答える。


昼のラジオ体操が終わり、マナベが乱雑に書類がつみあがった机の上を片付けていると、見慣れない民芸品のような物体を見つける。手にとって見ると意外に重く落としそうになる。
「なんか見慣れないものが、ネバネバして気持ち悪い手触りだし―――」
そう言いながら、裏向きにして眺めて見ると、青色のガラス玉のようなものが埋め込まれている。
「なんだぁ、この物体は、だれが何のために置いたんだ」
そう言いながら握り締めた時に、その物体が銃の形をしていることに気がつく。
「どうやら、これは銃をかたどったおもちゃみたいだ。だが用途不明、意味不明、さっぱり解らん」
そう言いながら、マナベは銃を社内の端っこにあるお稲荷さんの狐に向かって撃つまねをする。
―――バン
大きな音がしてマナベが驚き握った銃を落としそうになる。
「おはようございます、社長」と眠そうな目で開発課長のサワダが声を掛ける。
どうやら、バンと言う音は銃が発射された音ではなく、サワダ課長が入って来た音だったらしい。
「なんだ、サワダ課長か。びっくりするじゃないか、大きな音を立ててドアを閉めると、いつもドアはそっと閉めるように社内に通達を出しているだろう」
「すみません」サワダ課長が素直に謝る。
「例の出島設計事務所向けの自動作図システムの進捗はどうだ、たしか今日が納期だったはずだが」
「その件は楽勝ですねぇ、先週末には片付けときました」
そう言いながら、サワダがコンピュータを起動して説明を始めようとしたが、マナベはそれをさえぎる。
「システムの方はサワダ課長が作るんだから間違いないだろう、それよりこの奇妙な物体はなんだか知っているか」
「おおおっと、そんなところにありましたか」
「実はですね、自動作図システムの開発が順調だったので、1ヶ月ぶりに休みを取って友ヶ島に行って来たんですよ」
「友ヶ島―――なんだ、その島は」
「社長は知りませんか、友ヶ島はフナムシの聖地なんですよ。世界に生息するフナムシの20パーセントが見つかると言う、かつて天皇陛下も研究のために訪れたフナムシ研究家にとっては夢のような島、天国と地獄が同時に存在するようなフナムシの楽園なんです」
「だが、君はフナムシの研究家だっけ、そんな話は初めて聞くが」
「僕は、フナムシは嫌いです。だけどフナムシの聖地と言う言葉の響きがなんだか気になって、たまたま偶然ふとしたことから思いがけずふらっと足の向くまま行って来ただけです」
「どうもサワダ課長の話は部分的に長くなるが、短く言えば、せっかくだから行って来たわけだな」
「そうです、せっかくだから行ってきました」
「それで、もともとフナムシなんかには興味がないし島の中を探索していたら奇妙な階段があったので、せっかくだから入ってみました。そうしたらその、いま社長が持っている物体を見つけたので、せっかくだから持って帰りました」
「いきさつは解ったが、そのせっかくだからを多用されると頭痛がするから、今後そのせっかくだからは使用禁止にしてくれ」
「解りました」
「だが、なんでこの机の上にその物体が置かれているんだ」
「それはですねぇ―――」
そう言いながらサワダはお稲荷さんの狐に向かって銃を構え、トリガーを引いた。
音はしなかったが、なんとなく狐が青い光を発したような感じがした。
「こうやって狐を撃つと、なんか狐が笑ったような気がして」
「と言うことは、サワダ課長はこのお狐様に向かってこの銃を撃ったわけだ、この罰当たりものが、きっと祟りが来るぞ」
そう言いながら、マナベはサワダ課長に向かって銃を発射した。
「お狐様、お許し下さい、祟りはこのサワダ課長が引き受けますから何とぞお許しを」
「社長大丈夫ですよ、祟りなんてそんなの迷信です」

「社長、いま出島設計事務所の方から電話があって、今日午前中の納期のシステム納入に来なかったから契約は打ち切るからとのことです」
新入社員がマナベとサワダに向かって伝言を伝えた。

「ほらみろ、さっそくお狐様の祟りがあった、だめだろう、やっぱり罰当たりなことをしたら―――」
「そうですね、お狐様の祟りって本当にあるんですね」サワダがしみじみと呟く。
「サワダ課長、その銃で俺を撃ってみろ、お狐様、祟りは私が引き受けますのでどうぞお許しを―――」
その瞬間、サワダがマナベを銃で撃った。

「社長、出島設計事務所の方から電話があって、契約打ち切りの件は冗談だからと念のために伝えておいて下さいとのことです」
先ほどの新入社員が再びマナベとサワダに向かって伝言を伝えた。

「どうやら、お狐様のお怒りは解けたようだ、これで一安心のハッピッピ〜〜〜」
マナベはいつもの上機嫌に戻った。


□1995年1月23日 21時00分 弁天町公園

夜、辺りは静寂に包まれている。ここは、エコール本社のそばに隣接する児童公園だが、土地柄全く人影は無い。
バラの花壇で囲まれた対面式のコンクリートベンチのテーブルでパチパチと炭のはじける音が静寂な辺りに微かに響く。
「火の状態は、大体安定したし、そろそろ始めるか」
そう言いながら、マナベはクーラーボックスからパイナップルを丸ごと取り出し、事務用カッターナイフで輪切りにする。続いて、取り出したリンゴはテレホンカードを使って皮をむき、さらに輪切りにする。バナナは皮をむき、むいた皮の上に実を乗せる。一気に準備した食材をベンチの上に作った仮設のコンロで焼き始める。
「一人、夜の公園でやる、果物の焼き物は心が落ち着くねぇ」
そう言いながら、マナベはハムをテレホンカードで薄切りにして、パイナップルの上に乗せた。
「ハムステーキのパイナップル添え、これは美味い、エコールスペシャル、フルーツバーベキューとでも呼ぶか」
そう言いながら、クーラーボックスからコーラを取り出し、焼酎をたっぷりと混ぜ、焼き物の上に一気にかけた。一瞬、火が立ち上り、そしてコーラの焼ける臭いが辺りを包み込んだ。
「出島建設のプロジェクト、無事完成、おめでとう」そう言いながら、一人で焼酎のコーラ割を空に向かって乾杯をする。
「しかし、サワダ課長は酒飲まないし、社員は6時になると全員帰ってしまうし、プロジェクトのお祝いをするのも一人とは、エコールも個人主義が横行してまとまりが悪いなあ、このままでは、21世紀までもたないだろう」マナベはぶつぶつと独り言を言う。
「まあ、CADの仕事もだいぶ煮詰まってきたし、時期がきたら田舎に帰って金魚屋でもやるか」
そう言いながら、フルーツバーベキューをつついていたマナベだが、突然意識が薄れて行くのを感じた。マナベは誰かが呼び掛けているのを聞いた。

「こっちだダニー、ハムステーキは諦めろ、とにかく急げ〜」
「今、食い始めたところだ越前、もうちょっと待てないのかぁ」
突然、知らない名前が口を突いて出たことにマナベは驚いたが、越前と呼ばれた男はそれに構わずにマナベを急き立てた。
「マルマラ国王が裏切った、俺たちは孤立している。状況は極めて悪い」
「ダニー、とにかく逃げよう、追っ手のヘリが間もなくこの周囲を包囲するはずだ」
別の男が声を掛ける。
「解った、グレッグ。ハムステーキは諦めよう」

突然、上から激しいヘリコプターのエンジン音、そして爆弾の炸裂する音。
辺りに着弾したミサイルが大きな音を立てる。俺たち3人は、ヘリの爆音を避けて移動を開始した。
「ダニー、グレッグ、生きてるかぁ」越前の声が前から聞こえる。
「ああ、なんとかなぁ」
「上から来るぞ、気をつけろよぉ」
そう言いながら、越前は石造りの階段を上がって行く。どうやら、越前はあえて危険な方向に身を置くことで、万にひとつの活路を見つけようとしているらしい。
越前について行く、ダニーとグレッグ。
着弾するミサイルを避けながら前進すると前方に地下に続く階段を見つける。

「なんだぁ、この階段は」ダニーが叫ぶがすでに越前は、
「とにかく入ってみようぜ」と言いながら進入開始。
前方に3つの扉が見える。扉の上には赤、青、黄色の宝石が埋め込まれているが扉自体はすべて緑。
「せっかくだから、俺はこの赤の扉をえらぶぜぇ」越前は迷い無く赤の扉の中に入って行った。ダニーとグレッグは、それぞれ別の扉を選ぼうと一瞬ためらったが、越前に続いて赤の扉をくぐる。

ダニーとグレッグが赤の扉に入った時、越前はすでに、赤い銃を胸に抱いていた。
「越前、その銃をどうするつもりだ」ダニーが問い掛けるが、越前はふっと笑みを二人に見せ、そのまま入って来た扉から出て行った。
その場で呆然とするグレッグとダニー、その時に幽体と思われる少女、メラニートが現われ、二人に語り掛ける。
「越前康介が持ち去った銃、名前はクリムゾンと言います。理由は言えませんが、これまで数千年に渡って世界に厄災をもたらしてきた呪われた銃です。デスビスノスの覚醒と共に封印が解けてきたのは必然かもしれませんが、越前康介が持ち出す予定ではなかったのです。本当の所有者が完全に封印して闇に葬るまでここで私が守っていましたが、それもどうやら限界が来たようです。899年も守ってきたのですが、あと1年足りませんでした」
「デスビスノスってなんだ―――」
メラニートは悲しそうな顔をしてダニーとグレッグを見つめた。どうやらデスビスノスについては語りたくない雰囲気である。
「クリムゾンは、所有者を狂気に導きます。所有者は自分の持つカルマをクリムゾンに蓄積して、クリムゾンはそのカルマをエネルギーとして一撃で精神を破壊する銃として多くの人々を洗脳し、戦いへと駆り出して行くでしょう。残された期限は1年、それまでに、越前を見つけ出し、完全にクリムゾンの支配下に入る前にクリムゾンをこの場所に戻して欲しい。それが、宇宙の願いであり、私の使命であり、あなたたちの命を救うことにもなります」
ダニーとグレッグは、顔を見合わせた。どうして俺たちの命が関係あるんだと。
「クリムゾンを持ち出した越前は、その事実を知っているあなた方二人を最初に殺しに来ます。事実を知った人間を抹殺することでこれまでクリムゾンは歴史上の表に現われることが無かったのです」
「とにかく、残された期限は1年、越前康介を探してクリムゾンを取り返して下さい」
大きな衝撃音とともに赤の扉から溢れ出した光に包まれた二人は宙を舞い、意識を失った。